ARTIST

KOJOE × AARON CHOULAI

【Kojoe】

Kojoe/新潟県十日町市出身。17歳の時に渡米を決意し単身NEW YORKへ。BRONX、BROOKLYNのFLATBUSHに住んだ後、QUEENSのHOLLISで音楽活動を開始。Brand NubianやJean Graeの前座、実力派女性ラッパーのApani B Fly MCのサイド MCを務めながら、彼らのアルバムにラップだけでなくプロデュースでも参加。2007年にはTalib Kweli &Mos Def、Pharoahe Monch等、現在も第一線で活躍する アーティストを数多く輩出してきたUSアンダーグラウンドを代表する名門ヒップホップ・ レーベル「RAWKUS RECORDS」による新鋭アーティスト50組のアルバムをデジタル配信リリースする「RAWKUS 50」プロジェクトに唯一の日本人として抜擢。アルバム「RAWNIN」をリリース。2011 年、日本に帰国しリリースしたMIX TAPE「KOJOE TUESDAYS Vol.1」「KOJOE TUESDAYS Vol.2」「ASIAN LINX Mixed By DJ BEERT」「The 'J' Mixtape」は都内の主要専門店チャート全てのリリースで軒並み No.1を獲得。その後 US 著名ラッパー Raekwon、Kurupt とも共演し、彼らのコンピレーションアルバム「The Academy」に KOJOE1st シングル「Samurydas」が収録される。2015 年には福岡の盟友OLIVE OILと再度タッグを組み 4thアルバム「HH」、未発表曲集 「iLL Scott」をリリース。日本語と英語を巧みに絡ませる独特のラップに卓越した歌唱力に よる歌を織り交ぜた彼特有のスタイルが脚光を浴びている。またKOJOE & Aaron Choulai Quintet名義でバンドセットでのライブパフォーマンスも 行っており、NY でも活躍するピアニスト「アーロン・チューライ」率いる一流のJAZZ アーティストと共に HIPHOPの枠を越えた新たな領域での活動も繰り広げている。




【Aaron Choulai】

パプアニューギニア出身のジャズピアニスト・作曲家・ビートメーカー。ニューヨークや東京のジャズやノイズ、即興音楽のシーンなどでの活動に加え、マルチメディアの異文化間フェスティバルの委嘱などを受け、さらにMantraやKojoeなどのMCのためのプロデュースをするなど、このピアニストの活動は幅広く、冒険的である。2014年Freedman Fellowship Jazz Award受賞、2015年Mobb Deep Remix Contest優勝。
2003年にオーストラリア・メルボルンの音楽大学VCAを卒業後、様々なアーティストとの共演でピアニスト、そして作曲家として活動を広げる。中でもチューライが発足したバンド“Vada”は、彼のオリジナルを演奏し、やがて“Fitzroy scene”として知られるようになる、2000年代前半に出現した音楽シーンを作り上げることになる。同じ頃に、オーストラリアで最も人気があるとされるポップシンガーKate Ceberanoの音楽監督としてオーストラリア国内ツアーの数々をするだけでなく、オーケストラやバンドのための編曲の仕事も始める。
2003年より海外からも評価を得、定期的にニューヨークへ渡り始める。そこでJim Black、Ben Monder、Joel Frahm、Tim RiesやBilly Drummondといったミュージシャンと共演やレコーディングをするようになる。やがてニューヨークに根付き、Sunnyside Recordsよりアルバムのリリースをし、バンドリーダーとしてアメリカ国内やヨーロッパツアーを行い、イタリアのUmbria Winter Jazzや南仏のJazz à Juanなどのフェスティバルに出演する。この頃、チューライは雑誌All About Jazzなどで評価を得、2006年にはオーストラリアジャズアーティスト新人賞を受賞。
2007年にオーストラリアの数々の人気アボリジニーアーティストが共演するMelbourne International Arts Festivalによる企画“Black Armband”の音楽監督・編曲者・ピアニストをつとめるためにオーストラリアに戻り、オーストラリアのあらゆるフェスティバルに出演し、2008年にはLondon Theatre Festivalにも出演。他にメルボルン交響楽団、オーストラリア交響楽団、アデレード交響楽団などのために編曲し、共演。同じ頃にオーストラリア、クイーンズランド音楽祭の委嘱を受け、“We Don’t Dance For No Reason”を作曲し、プロデュースする。これは彼のバンド“Vada”とパプアニューギニアのタタナ村のPerovetaというジャンルの聖歌隊のコラボレーションであり、広くに渡り絶賛され、Melbourne International Arts FestivalやWOMAdelaideなどオーストラリアの主要フェスティバルで連日満席のコンサートを開催することになる。同年、“Melbourne Magazine”で、メルボルン・オーストラリアで最も影響力のある者の一人とし選ばれる。
2009年にチューライは日本・東京に活動の拠点を移し、2013年には東京芸術大学音楽環境創造科修士課程を修了する。在学中にもジャズピアニストとして活動を繰り広げ、国内ツアーも行い、様々なバンドのリーダーとして日本のジャズ・インプロヴィゼーション界に根付く。この時期に、ジャズ界の外の日本やオーストラリアのシンガーやMCのアルバムをプロデュースし始める。現在も東京を拠点とし、プロデューサーとしてはNgaiire、MANTRA、Joelistics、KojoeやOlive Oilなどのアーティストと関係を持ち、同時にピアニスト、そしてバンドリーダーとしての活動も続け、定期的に日本国内外で演奏をしている。